昭和16年、太平洋戦争の開戦とともに、
日本海軍の象徴として密かに建造されていた
戦艦が世に姿を現しました。
その名は「大和」。
当時、世界最大・最強と謳われたこの戦艦は、
長さ263メートル、基準排水量6万トン、
46cm主砲を備えた、まさに“海に浮かぶ
要塞”でした。
しかし、この巨大戦艦がその真価を発揮する
場面は、戦争の趨勢がすでに傾いた頃に
なってからでした。
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【最後の出撃と“特攻”という名の作戦】
昭和20年4月、戦況は悪化の一途をたどり、
本土決戦を目前に控えた日本は、戦艦大和に
“片道燃料”を積ませ、沖縄への海上特攻を
命じました。
作戦名は「天一号作戦」。
護衛の駆逐艦数隻とともに、鹿児島の
坊ノ岬沖へと向かう大和。
それは勝利のための出撃ではなく、
“死を前提とした”出撃でした。
アメリカ軍の圧倒的な空爆の前に、大和は
一方的な攻撃を受け、わずか数時間で海に
沈んでゆきました。
乗組員約3,000人のうち、生還者はわずか276人。
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【大和とは何だったのか】
大和は、「日本そのもの」を象徴する
存在として建造されたとも言われます。
日本人の技術力の結晶であり、同時に、
国策の犠牲となった悲劇の象徴でもあり
ました。
“戦争に勝つ”ための存在ではなく、“戦争の
終わり”を告げる象徴として散っていった
戦艦大和。
そこには、指導者たちの誤算と、最前線にいた
若者たちの命のギャップが浮き彫りになります。
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【今を生きる私たちへ】
戦艦大和の物語をただ「過去の歴史」として
片付けるのではなく、“なぜそれほどの犠牲が
必要だったのか”
“どうすれば同じ過ちを繰り返さずに済むのか”
そう自らに問い続けることが、今を生きる
私たちに課された使命ではないでしょうか。
大和はもう存在しません。
しかし、そこに託された魂と教訓は、確かに
今も私たちの中に生き続けています。

感謝。