仏教には「生老病死(しょうろうびょうし)」と
いう言葉があります。
生まれること、老いること、病にかかること、
そして死ぬこと。
人が生きる以上、誰一人として避けることの
できない四つの現実です。
では、人類の長い歴史の中で、この生老病死を
回避した人はいるのでしょうか。
結論から言えば、一人もいません。
どれほど権力を持った人も、
どれほど財を成した人も、
どれほど多くの人に慕われた人も、
例外なく生老病死を生き、そしてこの世を
去っています。
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お釈迦様でさえ、避けることはできなかった
仏教を開かれたお釈迦様でさえ、生まれ、老い、
病を得て、80歳で亡くなられています。
ここで大切なのは、お釈迦様は生老病死を
「回避した人」ではないということです。
では、何が違ったのか。
それは、生老病死そのものから逃げたのではなく、
生老病死に振り回される心から解放されたという
点です。
避けられない現実を否定せず、正面から受け止め、
それでも心が苦しまない境地に至った。
それを仏教では「悟り」「涅槃」「解脱」と
呼びます。
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葬儀の現場が教えてくれる真理
葬儀の現場に立っていると、生老病死は決して
特別な話ではなく、誰の人生にも平等に訪れる
ものだと実感します。
若くして旅立たれる方もいれば、大往生と
呼ばれる最期を迎えられる方もいます。
ただ一つ言えることは、「死なない人」は一人も
いないという事実です。
だからこそ、葬儀は悲しみの場であると同時に、
生きている私たちが、自分の生き方を見つめ直す
場でもあるのだと思います。
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回避できないからこそ、どう生きるか
生老病死は回避できません。
これは残酷な真実かもしれません。
しかし同時に、誰にとっても条件は同じという
ことでもあります。
その中で、
• 何を大切にして生きるのか
• 誰のために時間を使うのか
• どんな心で人と向き合うのか
それは、今この瞬間から選ぶことができます。
葬儀は「終わり」ではありません。
生老病死を生き切った一人の人生に、静かに
頭を下げ、感謝を伝える時間です。
そして同時に、残された私たちが、今日をどう
生きるかを問いかけられる時間でもあります。
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生老病死を回避した人はいません。
だからこそ、生老病死と共に生き、人として
恥じない時間を積み重ねていきたい。
そう思いながら、今日も一つひとつのお別れに
向き合っています。

感謝。