若い頃の私は、まだ社会の歩き方も知らず、
自分の感情の行き場をどうすればいいかも
わからない、そんな20代前半の青年でした。
ある会社に勤めていた頃、私はどうしても
我慢できない出来事が続き、ついに退職を
決意しました。
退職届を持って部長のもとへ行き、直属の
上司への不満を一つ残らずぶつけました。
「○○さんの、こういうところが嫌いです。
もう耐えられません。」
今思えば、若さゆえの“真っすぐすぎる気持ち”
でした。
しかし、そのとき部長が語ってくれた言葉が、
私の人生を大きく変える“分岐点”になりました。
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■ 部長が静かに語ってくれたこと
「そうか。
別に止めはしない。
でもな、これだけは覚えておけ。」
部長は姿勢を正し、ゆっくり語り始めました。
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「長い人生を楽しく、豊かに生きたければ――
人を許し、そして好きになることだ。」
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「人を一本の大木に例えると、遠くから見れば
立派に見えても、近くへ行けば枯れた葉っぱも
腐った枝もある。
完璧な木なんて一本もない。
人間も同じだ。」
「人のアラばかり気にしていると、それは態度や
顔に表れる。
気づいたら上司からも、友人からも、恋人から
も“生意気だ”と思われ、嫌われ、やがて人は
孤独になってしまう。」
「だから、人の良いところを見てみろ。
そうすれば不思議と、その人を好きになれる。
そして好きになれば、相手も必ず、“あいつは
かわいいやつだ”“いいやつだ”と感じてくれる。」
「人を許して、好きになることは――
結局、自分自身のためなんだよ。」
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■ 豊臣秀吉の話と、人生の階段
部長はさらに続けました。
「最初から社長になれれば楽だけど、
ほとんどの人は階段を一段ずつ上がっていく。
その一段一段を丁寧に登った人間だけが、
最後には一番上まで行くんだ。
あの豊臣秀吉もそうだ。
農民から天下人までのぼりつめた。
理由はひとつ。
人を見る目と、人を許す心があったからだ。」
私はその話を聞いたとき、胸に電流が走るような
感覚になりました。
この言葉が、若い私の心に深く突き刺さったの
です。
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■ その日から、私は変わった
その日を境に、私は人の“欠点”ではなく“良い
ところ”を見るようになりました。
困っているときに声をかけてくれる先輩、
仕事が遅い自分に根気強く付き合ってくれた
上司、叱ってくれる人の裏側にある“期待”。
それらすべてが、ありがたいものだと気づき
ました。
そのおかげで、前職の大手葬儀社では、
先輩にも上司にも可愛がっていただき、
仕事も一つひとつ覚え、社会人としての土台を
作ることができました。
もしあのとき部長が、あの言葉を私に投げかけて
くれなかったら――
今の私は存在していないと思います。
**「人を許し、人を好きになる。
それは相手のためではなく、自分自身の人生を
豊かにするため。」**
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■ 私の人生を変えた“宝物のような言葉”
若いときに人からかけられた言葉が、その後の
人生を支える柱になることがあります。
私にとって、あの日の恩師の言葉は、間違い
なく“人生を変えた宝物”です。
これからも、人の良いところを見て、人を許し、
人を好きになりながら、一段一段、丁寧に階段を
登っていきたいと思います。

感謝。