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人はなぜ「自分だけはまだ死なない」と思うのか

人は、身近な人を亡くしても、どこか心の奥で

こう思っています。

「自分は、まだ大丈夫だ」

葬儀の現場で、何度もご遺族の涙を見てきました。

棺の中に横たわる故人のお顔を見つめながら、

「昨日まで話していたのに」

「まさか、こんなに急に」

そう言われます。

しかしその一方で、その場にいる誰もが、心の

どこかで自分の順番はまだ先だと思っている。

それが人間なのだと思います。



病に直面したとき

ところが、自分が病に侵された瞬間、世界は

一変します。

今まで遠かった「死」が、急に近づく。

・神社仏閣へ参る

・お守りを身につける

・高額な治療に望みをかける

・「どうか助けてください」と祈る

どんなに拝んでも、どんなにお金を積んでも、

どんなに医学が進歩しても、

この世の理(ことわり)――

諸行無常からは逃れられません。

すべては移ろい、形あるものは必ず壊れ、生ある

ものは必ず終わる。

これは、誰にも例外がありません。



それでも人は救いを求める

では、人はなぜ祈るのでしょうか。

それは、「終わりがすべてではない」とどこかで

信じたいからです。

もし、死後にまた会える世界があるなら。

もし、先に旅立った人と再び微笑み合える場所が

あるなら。

その可能性が、ほんのわずかでもあるのなら。

それだけで、人は少し救われます。



倶会一処(くえいっしょ)

仏教には「倶会一処」という言葉があります。

また同じ場所で会う、という意味です。

今生で別れても、ご縁がある者はまた出会う。

私たちは、何百回も「さようなら」を見届けて

きました。

でも、本当は「さようなら」ではなく

「またね」なのかもしれません。



死を見つめる仕事だからこそ

死を間近で見続けると、分かることがあります。

人は必ず終わる。

だからこそ、今日をどう生きるかが問われる。

迷いを断ち、自分の人生をまっすぐに歩く。

それは、死を恐れているのではなく、死を知って

いるからこそできる生き方です。



終わりがあるから、尊い

もし永遠に生きられるなら、今日の一日は価値を

持たないでしょう。

終わりがあるから、一言が尊い。

終わりがあるから、「ありがとう」が重い。

そして、終わりがあるからこそ、また会える

世界を信じたくなる。



諸行無常から逃れることはできない。

しかし、諸行無常を知った上でどう生きるかは

選べる。

もし、死後にまた会える世界があるのなら、 

胸を張って再会できる生き方をしていたい。

そう思いながら、今日も目の前のご家族と

向き合っています。

感謝。


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