かつて、こんな空気が日本にはありました。
•学校の先生の言うことは絶対。
•病院の先生(医師)には頭が上がらない。
•菩提寺の住職は一族の精神的支柱。
いわゆる「三大先生」――教育・医療・宗教の
現場では、先生の言葉は“教科書”であり、“正解”
でした。
逆らう人もいなければ、疑うことも少なかった。
そこには、**「教える側の威厳」と「教わる側の
従順さ」**が成り立っていたのです。
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■ でも時代は変わった
今、どうでしょう?
•学校では体罰は当然禁止、保護者からの
クレームは即対応。
•医師も簡単に訴えられ、説明責任に追われる。
•菩提寺も、「お布施が高い」「説教が古い」と
離れていく檀家が増加。
昭和・平成を経て、令和に入り、「絶対」は
崩れました。
長年築かれてきた関係性が音を立てて崩れて
いく中、“先生”という立場は、もはや特別な
存在ではなくなったのです。
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■ 残るのは、“お客様”という本質
この変化は、決して「嘆くべきこと」ではあり
ません。
むしろ、時代が本来の姿に戻ろうとしているの
かもしれません。
教師=生徒の人生を支援する人
医師=患者の命と心に寄り添う人
住職=檀家の悲しみに手を合わせる人
つまり、相手の立場に立ち、“サービス提供者”と
しての意識を持った人だけが、今も信頼されて
いる。
これは「媚びる」こととは違います。
本気で寄り添う者だけが、選ばれる時代なのです。
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■ トワ家族葬ホール岩国も、同じ思いです
葬儀業界もまさに同じ状況です。
•「昔ながらのしきたり」ではなく、「故人
らしさ」が求められる
•「高額な葬儀」ではなく、「明瞭で心ある価格」
が求められる
•「形式的な流れ作業」ではなく、「想いを汲む
真心」が求められる
私たちトワは、**“お客様の声がすべての起点”**
だと考えています。
お客様は「故人の人生の最終章を任せてくれた
人」。
だからこそ、決して「業者」ではなく、「伴走者」
でありたいと思っています。
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■ 威厳より、信頼。教えるより、共に考える。
「先生」が“偉かった”時代に育った私たちに
とって、この変化は、ときに戸惑いや寂しさを
感じるかもしれません。
でも――
変化を恐れず、歩み寄った先にしか、本当の
信頼は生まれません。
•高圧的な態度ではなく、耳を傾けること
•知識をひけらかすのではなく、わかりやすく
伝えること
•一方的に教えるのではなく、共に祈ること
時代が変わっても、“相手を大切に思う姿勢”
だけは変わらないでいたいものです。
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■ 最後に
昔は昔で、よかった。
でも今は今で、いい。
そう言えるように――
お客様を尊重する心を忘れないこと。
それが、教育も、医療も、宗教も、そして葬儀も、
これからの時代に生き残る唯一の道かもしれ
ません。

感謝。