あの日のことを、今でも忘れられません。
まだ若い方が自ら命を絶たれ、ご両親が
地元から駆けつけられました。
かける言葉が見つからず、ただ静かに寄り添う
ことしかできませんでした。
火葬だけを岩国で済ませ、後日地元で骨葬を
されるとのこと。
会館には深い悲しみと静けさが漂い、時間が
止まったようでした。
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その頃、別の式場では通夜を控えたご葬家が
おられ、僧侶が枕経を唱えておられました。
その木魚の音が、静まり返った自死で
お亡くなりになった方の式場まで届きました。
その音を耳にされたご両親が、私に静かにこう
言われました。
「あの僧侶に、どうか息子のために10分だけ
でもいい、
お経を唱えてもらえんじゃろうか…」
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私はすぐに僧侶に事情をお伝えしました。
すると僧侶は、何も迷うことなく、
まるで全てを悟られたような表情でこう言われ
ました。
「お勤めさせていただきます。」
宗派も違い、何の縁もゆかりもないにも
かかわらず、その僧侶は故人のために心を
込めてお経を唱えられました。
さらに火葬場までお供され、お布施も一切
受け取られませんでした。
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あの日、悲しみに包まれたご両親の心が、
ほんの少しだけ救われたように見えました。
私もまた、人の優しさと慈悲に胸を打たれ、
深く頭を下げました。
帰って行かれるその僧侶の背中を見送ったとき、
私は確かに、そこに仏様の姿を見ました。
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私たちは、日々多くのご遺族と向き合います。
悲しみの中で人が人を思う心、そして見えない
ところで生まれる小さな奇跡。
あの僧侶の背中は、今も私の心の中で静かに
光り続けています。

感謝。