仏教には「四苦八苦」という言葉があります。
人が生きる中で避けられない八つの苦しみの
うちの一つが――
**「愛別離苦(あいべつりく)」**です。
愛する者と、別れなければならない苦しみ。
誰もが一度は経験する、でも、何度経験しても
慣れることのない、深く、静かで、どうしようも
ない悲しみ。
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■「ずっと一緒にいたかった」
葬儀の現場で、何千人ものご家族をお見送りして
きました。
「ありがとう」と言えた人もいれば、
「ごめんね」と悔やむ人もいます。
でも、そのどちらにも共通しているのは――
**「もっと一緒にいたかった」**という、心の
奥底から湧き出る想いです。
「いつかは来る」とわかっていても、その
「いつか」が「今日」になる準備なんて、誰にも
できないのです。
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■「苦しみ」こそが、「愛していた証拠」
愛別離苦がつらいのは、愛していたからです。
「もう会えない」「声が聞けない」「笑顔が
見られない」
それが苦しいのは、心からその人を大切に
思っていた証拠。
裏を返せば、別れがつらいほど、あなたはその
人を本当に愛していたのです。
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■「悲しみ」を封じ込めないでください
現代では「泣くのは恥ずかしいこと」
「早く気持ちを切り替えなければいけない」
そんな空気が漂っていることもあります。
でも私は、無理に前を向かなくてもいいと
思っています。
涙が止まらない日があってもいい。
写真に話しかけてもいい。
名前を呼び続けてもいい。
「会いたい」と願う日々も、きっとその人の
記憶を、あなたの中で生かし続けている証なの
です。
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■ いつかまた、会える日まで
仏教では「極楽浄土」での再会を信じます。
キリスト教では「天国」でまた会えると信じます。
宗教や思想は違っても、「大切な人とは、きっと
また会える」
そう信じる心は、世界中で共通しているのでは
ないでしょうか。
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■ 最後に
愛別離苦。
それは誰にとっても避けられない、人生の苦しみ
の一つです。
けれど、その苦しみの奥にあるのは、確かな愛の
証です。
悲しみながらも、静かに手を合わせるその姿こそ
が、故人への最大の贈り物なのかもしれません。
「愛していたから、別れがつらい」
その想いを、大切に抱きしめてください。

感謝。