将来、自分が亡くなった時のことを、ふと考える
ことがあります。
その時の葬儀は、どんな形になるのだろう。
会葬に来てくださる方は、何人くらいだろう。
祭壇の花は、こんな雰囲気がいいな。
遺影写真は、あの一枚にしようか。
お別れの時間には、あの音楽を流してもらいたい。
職業柄なのかもしれません。
私は、自分の葬儀のイメージが、すでに心の中に
出来上がっています。
「立つ鳥跡を濁さず」
亡くなった後に、誰かに心配や苦労をかけない
ように。
残された人たちが、困らないように。
そう思うと、今できる準備や、今の生き方が
自然と見えてきます。
そして、ほんの少しでいい。
本当に近い人たちにだけでも、「寂しくなるね」
「もう一度会いたかったね」
そう思ってもらえたら、これ以上のことはあり
ません。
人は、なぜ一生懸命に生きるのでしょうか。
それはきっと、自分が生きた証を、誰かの心に
そっと残すためなのだと思います。
派手でなくていい。
大きな功績でなくてもいい。
ただ、誠実に、真面目に、人を大切にして生きた。
その積み重ねが、最後のお別れの場に、自然と
表れるのだと思います。
自分の葬儀を思い描くことは、「死」を考える
ことではなく、「どう生きたいか」を見つめ
直すことなのかもしれません。
今日もまた、悔いのない一日を。
立つ鳥が、静かに羽ばたてるように。

感謝。