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目に見えないものは永遠なり

以前、キリスト教の教会でご葬儀の時ですが、

静かな祈りに包まれた礼拝堂。

厳かな雰囲気の中、牧師様がお話をされ

ました。

そのお話を聞きながら、私は深く心を打たれ

ました。

ただ、ただ感動しました。

「目に見えないものは永遠なり」

その言葉が、今も心から離れません。

私たちは日々、目に見えるものに囲まれて生き

ています。

お金、財産、地位、名誉。

形あるものを手に入れることが、いつしか人生

の豊かさであるかのように考えてしまいます。

しかし、形あるものは、いつか必ず失われて

いきます。

どれほど大切にしていても、永遠に手元に

置いておくことはできません。

では、目に見えないものはどうでしょうか。

人を愛する心。

誰かを思いやる優しさ。

交わした約束。

共に過ごした時間。

そして、亡き人が私たちの心に残してくれた、

数え切れないほどの思い出。

それらには形がありません。

手で触れることも、目で確かめることもでき

ません。

しかし、確かに存在しています。

大切な人が亡くなれば、その姿を見ることは

できなくなります。

声を聞くことも、手を握ることもできなく

なります。

けれども、その人から受けた愛情や、何気ない

日常の中で教えられたことまで、消えてしまう

わけではありません。

むしろ、姿が見えなくなって初めて、その人が

どれほど多くのものを残してくれていたのか、

気づかされることがあります。

聖書には、こんな言葉があります。

「見えるものは一時的であり、見えないものは

永遠に存続する」

コリントの信徒への手紙二、4章18節の言葉

です。

キリスト教の信仰において、この言葉は、

目に見えるこの世のものではなく、神の永遠

なるものに心を向ける教えです。

私はキリスト教徒ではありません。

それでも、この言葉には宗教や宗派を超えて、

人の心に響く何かがあるように感じました。

人はいつか必ず亡くなります。

どれほど願っても、その現実を変えることは 

できません。

しかし、人が生きた証しとは、果たして目に

見えるものだけなのでしょうか。

誰かの心に残した温もり。

困っている人に差し伸べた手。

何気なくかけた優しい一言。

そうしたものこそ、その人がこの世に生きた

大切な証しなのかもしれません。

私たちはご葬儀という仕事を通して、日々、

人の命の終わりに立ち会っています。

そのたびに考えさせられます。

人は何を残して逝くのだろうか。

そして、自分自身は何を残していけるの

だろうか。

立派なものを残す必要などないのかもしれ

ません。

たった一人でも、自分と出会って良かったと

思ってくれる人がいる。

自分の何気ない言葉や行動が、誰かの心の支え

になっている。

それだけでも、人が生きる意味は十分にある

ように思います。

今回、牧師様のお話を伺いながら、そんなこと

を考えていました。

「目に見えないものは永遠なり」

ご葬儀を終えた後も、その言葉が何度も心の

中によみがえってきます。

目に見えるものばかりを追い求めるのでは

なく、目に見えない大切なものを、これからも

大事にして生きていきたい。

そう思わせていただいた、忘れられない

ご葬儀でした。

感謝。


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