「露の身は ここかしこにて 消えぬとも
心は同じ 花のうてなぞ」
これは、浄土宗の開祖・法然上人が詠まれた
御歌です。
人の命は、草の葉に宿る朝露のようにはかない
もの。
いつ、どこで、その命が尽きるのかは、誰にも
分かりません。
けれども法然上人は、たとえこの世で離れ離れ
になり、それぞれ違う場所で命を終えることに
なったとしても、念仏を申して極楽浄土を願う
心は一つ。
やがて同じ蓮の花の台で、もう一度会うことが
できる。
そのような思いを、この御歌に込められ
ました。
「花のうてな」とは、極楽浄土に咲く蓮の花の
台、蓮台のことです。
浄土宗には「倶会一処(くえいっしょ)」と
いう言葉があります。
この世で別れた人とも、阿弥陀さまの極楽浄土
で、再び同じところに会うことができるという
教えです。
葬儀の場では、「もう二度と会えない」
と思うと、悲しみはあまりにも深いものになり
ます。
けれど、「また会える」
そう思うことができたなら、別れの意味も少し
変わってくるのではないでしょうか。
姿は見えなくなっても、一緒に笑ったこと。
一緒に食事をしたこと。
叱ってもらったこと。
心配してもらったこと。
何気なく交わした言葉。
そうしたものは、残された人の心の中から
消えることはありません。
そしていつか、自分自身にもこの世を離れる
日が来ます。
そのとき、「先に行って待っていてね」
「私もいつかそちらへ行くからね」
そう言って手を合わせることができる。
それが浄土宗の教えにある、極楽浄土での
再会なのだと思います。
法然上人は、人生の別れを「すべての終わり」
とは考えられませんでした。
この世では別々の場所で命を終えたとしても、
心は同じ花のうてな。
また阿弥陀さまのお浄土で会いましょう。
だからこそ葬儀でお送りするとき、
「さようなら」だけではなく、
「ありがとう」
そして、「また会いましょう」
という言葉があってもいいのではない
でしょうか。
露のようにはかない命だからこそ、
会えるうちに会う。
話せるうちに話す。
そして伝えられるうちに、
「ありがとう」
を伝えておきたいものです。

感謝。