お坊さんと聞くと、「丸坊主の頭」を
思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
ところが実際には、髪を伸ばしている僧侶も
います。
特に浄土真宗では、髪のあるご住職を見かける
ことも珍しくありません。
では、そもそもなぜ僧侶は頭を剃るのでしょう
か。
その始まりは、お釈迦さまにまでさかのぼり
ます。
お釈迦さまは出家する際、それまでの生活を
離れ、髪を剃って修行の道へ入りました。
以来、仏門に入る者が髪を剃る「剃髪」は、
仏弟子になった証として受け継がれて
きました。
真宗大谷派も、剃髪は煩悩を断ち、飾りを捨て
て仏門へ入ることを表すと説明しています。
髪は昔から、自分を飾るものの一つでもあり
ます。
その髪を剃ることによって、「これまでの自分
への執着を捨て、仏道を歩んでいきます」
という決意を表したのです。
天台宗でも、得度とは髪を剃り、僧侶として
生まれ変わり、仏道に帰依する誓いを立てる
儀式とされています。
曹洞宗でも得度式では、師匠によって髪を
剃ってもらい、衣や袈裟を受けて正式に
僧侶の仲間入りをします。
日蓮聖人も16歳の時に頭を剃り、袈裟を着けて
正式に出家得度したと日蓮宗は伝えています。
では、なぜ髪を剃らないお坊さんがいるの
でしょう。
大きな理由の一つが、日本仏教の歴史にあり
ます。
明治5年、1872年に政府は、僧侶が肉を食べる
こと、妻を持つこと、そして髪を伸ばすことを
本人の自由とする布告を出しました。
それまでの僧侶の生活は大きく変わっていき
ました。
日蓮宗の研修資料でも、この明治5年の「肉
食・妻帯・畜髪」を認めた布告が紹介されて
います。
ただし、「明治政府が髪を伸ばしてよいと
した」=「すべての宗派で剃髪しなくなった」
ということではありません。
宗派ごとに伝統や規則が違います。
その中でも特徴的なのが浄土真宗です。
真宗大谷派では、男性僧侶は僧侶になる
「得度式」の際には髪を剃ります。
しかし、その後ずっと剃髪し続けなければなら
ない決まりはありません。
なぜでしょう。
浄土真宗では、世俗を離れて修行する「出家」
という形を取らず、社会の中で生活しながら
仏さまの教えを聞いていくという考え方を
大切にしているからです。
東本願寺も、このため得度後には特段の剃髪の
決まりはないと説明しています。
これは宗祖・親鸞聖人の生き方とも深く
関係しています。
親鸞聖人は自らを、「非僧非俗」つまり、
「僧でもなく、俗人でもない」
という立場で表しました。
東本願寺の資料にも、流罪によって公的な
僧侶資格を失った親鸞聖人が「非僧非俗」と
して生きたことが紹介されています。
ですから浄土真宗では、髪があるから
僧侶らしくない、とは考えないのです。
一方、曹洞宗や天台宗などでは、今も剃髪を
僧侶としての大切な姿、得度の象徴として
受け継いでいます。
つまり、お坊さんの丸い頭には、単なる
髪型ではなく、欲や執着を離れ、仏さまの道を
歩もうとする決意が込められているのです。
そして髪を伸ばしている僧侶にも、それぞれの
宗派の歴史と仏教に対する考え方があります。
「お坊さんなのに髪がある」
「お坊さんだから丸坊主」
そんな見た目だけでは分からない世界が、
仏教にはあります。
お葬儀の席で何気なく目にする僧侶の姿にも、
千年以上受け継がれてきた歴史と教えが
隠されているのです。

感謝。